交換してもらった本

コミティアで本を交換していただき、ありがとうございました。今回は交換以外の本が一冊も売れなかったことを記しておきます。デブリが2つ売れて、売上は千円です。それではもらった本の悪口を書きます。

  • 蚊に、2015、『tissue paper party』

以前の『ぼるけいの』や『からあげ』とほぼ同じ約A6サイズ、8ページ。既刊の2冊がデジタルだったのに対して、たぶん今回は鉛筆で原稿が描かれている。そのため印刷でいろいろ潰れてしまっているのが悩ましい。内容的な変化としてはだんだんと描かれるものたちに繋がりがあるようになってきている気がする。その努力が「のびたら・・何だろう・・」という無理のある描写になったかと考えたりする。

くわえて、五番街マックのテーマ曲の動画を見なさいと言われていたのでそれについて。断然、映像なしのほうがよかった。欠伸の止まらない蚊にがとてもキュートではある。だけれど荒荒しい背景!曲の雰囲気を大きく破壊している!二人にとってガタガタの街を眺めるのはあれこれのフィーリングが喚起されていい気分かもしれない、でもその魔法は関係者以外には効き目がない。だって関係ないんだもん。
蚊にとしわしわが目的地に到着、曲のほうでもポテトの揚がる音。ここだけ画質がいいけどやっぱり実際の場所の画はないほうがいい。ポテトの音だけで十分伝わるのが気持ちよかったはず。目を覚ませ。曲は最強かわいい。サウンドクラウドにセットで上がっている画像もすごい。動画だけ、あの五番街マックの仕事とは思えない。

最初の2コマが綺麗に決まっている。世界に閉じ込められていることを示す無時間的な表現。

切迫した気持ち。座る場所のない街。大きな岩盤に走った亀裂、その隙間にしか自分のために吸える空気が漂っていないくらいの気持ち。自分のための呼吸。いまいちの仕事だろうと生活のためには必要で、そして、それでも感受性が死んでいなければどうするか。
「相対時間の感覚」というのには嘘が入っているし、感傷的に捉えても仕方がない。

  • ク渦群、2015、『牙穴儿宀/穿つ』

墨一色。色で塗り分けられていないク渦群の絵はもうなにもわからない。でも、なにが描かれているのか判別するような見方になってもつまらないし。一言だと変な絵だなってなるけど。もしかしたら作者の論理も矛盾していて、髪や首の流れはかっこいいけど画面全体は雑然としてるとか物語がありそうでないみたいなことになっているのかもしれない。
巻末の文について。勢いで自分を誤解したまま書いている感じがした。こうしたくないという否定的な動機ばかりではなく、どうしたいのかを説明してくれるとよりよい。

100年前の天文学者たちについてのゆるいまとめ。なぜその情報をまとめたのかは不明。著者独自の新情報が付加されているのかも不明。それとも最後のページに「小説」と書いてあるのはこれが全部作り話だという意味だろうか。だとしたらウィキペディアの嘘ページみたいなもの。

  • 中島武明、2015、『フツパ』53号〜55号

ネガティブなことを書くと自分も嫌な気分になるからとっても嫌だが、しかし、『フツパ』は変えなきゃいけないと思う。このままではルサンチマンのガス抜きにしかなっていない。55号も出したこと自体は尋常ではなく、そのエネルギーがあれば今後もっといいものが作れるに違いない。自分で映画を撮って、自分の文体を探さなきゃいけない。それでないならもう一切興味が持てない。


イカ・ヒト・サカナ・シカが同じ土俵で生きる社会の不平等を描いた4コマ漫画集。この社会の最弱は白い体を持つイカだ。イカは「いかだから」という理由でいじめられ、脚を食われ、教育を受ける機会を奪われる。イカは社会階層間の上昇移動を断念せざるを得ず、世を捨てて漫画でも描き始める。
このたった11本の4コマ漫画のなかにはどっかで見たことのあるカットが節操なしに配置されている。しかしそれは、『いかの教育』という漫画が凡庸であることを意味しない。山本はお約束の展開を撒き散らすことで、人人の記憶の引き出しを開けっ放しにしまくり、そこに4コマ漫画には似つかわしくない広がりを与えるのだ。物語は、もはや漫画の外、読む主体の内で動いている。絵が手抜きであっさりと描かれているのも、読者が目の前の、実際の漫画に未練を持たないようにする配慮だと言える。
(博士以外の)キャラクターデザインも極限まで簡略化され、イカ同士、ヒト同士、魚同士は区別が付かない。そういうハードな同質性と異質性の世界で、しかもやはり匿名のまま、若者がひとり正義に目覚める。力強い。いいね。
コミティア当日に30分くらいで描いたくせによくでき過ぎている。ふざけて脱線しても戻ってこれてるし、4コマ漫画としても成功している。思い返すと彼の作品は短時間で一気に作ったもののほうが親しみやすい。そうでないものは手間暇かけた結果意味不明になっているようなことが多い。
付け加えて装丁もいい。余計な装飾のないコピー用紙の背をホットボンドで接着してあるのは、まるで烏賊くコ:彡の背骨のようだ。
ただ、非常に残念なのが、インスタントに「教育っぽさ」を演出しようとして原稿用紙に算数ノートを選んでしまったこと。ダサ過ぎる。最初縦書きだった台詞も、原稿用紙の形式に釣られて、まったく意味なく横書きになっていく。ダサ過ぎて本当すべてが台無しになる。こんな判断をする人間が描いた漫画に感動したのかと、自分の感覚への疑いが強まる。